この物語について

同じ会社なのに、まるで別のチームのように感じる――。
そんな瞬間はないでしょうか。
この物語は、実際の現場でよく起きる「部署間のすれ違い」をもとにしたストーリーです。
誰かが悪いわけではない。
でも、お互いに“見えている景色”が違っている。
その時、組織の中では何が起きているのか。

少しお時間をいただいて、読んでいただけたら嬉しいです。


1. また、急ぎの案件だった

「先方、かなり前向きです。競合も入っています。」
営業責任者の高瀬は、少し疲れた表情のまま資料を開いた。
「できる限り日程は調整しました。先方とも何度も話しています。ただ、このタイミングを逃したくないんです。」

会議室の空気が静かに張る。

開発リーダーの黒田は、資料を見ながら小さく息を吐いた。
また短納期だった。
しかも仕様はまだ揺れている。
「この内容だと、追加開発がかなり発生します。」
黒田が静かに言う。

高瀬は頷いた。
「分かっています。でも、ここで動かなかったら、会社は成長できない。」
その言葉には、強さがあった。
顧客と向き合い、競合と競り合い、数字を背負っている人間の重さだった。
けれど、開発側の空気は軽くならなかった。

若手メンバーの中村は、資料を閉じながら思う。
また現場が苦しくなる。
会議が終わったあと、開発チーム側には、なんとも言えない疲労感だけが残っていた。


2. 飲み会でしか言えない言葉

その週の金曜日。
開発チームは、仕事終わりに数人で飲みに出ていた。
「また営業案件っすか。」
中村が苦笑いしながらジョッキを置く。

「どうせ、現場のことなんか分かってないんだよ。」
誰かが言う。
「売上になる部署は強いよな。」
「結局、開発のしんどさなんて“愚痴”扱いだもんな。」
笑いも起きる。
けれど、その空気はどこか重かった。

黒田は黙ったまま、グラスの水滴を見ていた。
本当は、みんな分かっている。
営業側だって、好きで無理な案件を取っているわけではない。
顧客との関係をつなぎ、数字を追い、会社を前に進めようとしている。
その責任がある。

それでも。
開発側には、ずっと残っていた感覚があった。
売上は評価される。
けれど、壊れないよう現場を支える苦労は、見えづらい。
無理を続けた先で、誰かが疲弊する怖さ。
その苦しさは、時々ただの“弱音”のように扱われる。
その悔しさが、少しずつ相手部署への敵意に変わっていた。

飲み会の悪口は、いつしか習慣になっていた。
けれど、その場を離れる頃には、誰も少しだけ後味の悪さを抱えていた。
このまま言い続けても、何かが良くなるわけではない。
それも、薄々分かっていた。


3. それぞれが背負っていたもの

数週間後。
部門間連携をテーマにした社内研修が行われた。
テーマは、「関係者マップと合意形成」。

最初、営業側も開発側も、どこか距離を取っていた。
黒田は、「結局、きれいごとになるんじゃないか」と思っていたし、高瀬も、「現場論だけでは会社は成長しない」と感じていた。
ワークでは、自分たちの業務に関わる関係者を書き出していった。

営業側には、
顧客 競合 売上目標 経営層
が並ぶ。

開発側には、
品質 納期 保守 メンバー疲弊
が並んでいた。

見えている景色が、そもそも違っていた。
高瀬がぽつりと言う。
「案件を落とした時、会社全体の数字が頭に浮かぶんです。」
少し間を置いて、黒田が言う。
「こっちは、無理を続けた先で、誰かが壊れないかを考えています。」
若手の中村が、少し迷いながら続けた。
「正直、最近、家に帰っても何も考えられない時があるんです。」
「でも、こういう話って、“現場の愚痴”みたいに聞こえる気がして、あまり言えなくて。」

会議室が静かになる。
高瀬は、その言葉をすぐに返せなかった。
売上や案件のことは、ずっと考えてきた。
けれど、“無理を続けた先にいる人”を、どこまで見られていただろう。

その時、講師が静かに言った。
「皆さん全員、会社のことを思っていますよね。」
誰も言葉を返さなかった。
「社員の生活を大切にしたい、という点は一致していますよね。」
会議室が静かになる。

講師は続けた。
「営業は、会社の経済を守ろうとしている。」
「開発は、社員の日々の暮らしを守ろうとしている。」
「どちらかだけでは、会社は成り立たないんです。」
高瀬は、開発側の関係者マップを見つめていた。

そこには、

  • 深夜対応
  • 障害リスク
  • 保守負荷
  • メンバー疲弊

と書かれていた。

会社を前に進めたいと思っていた。
でも、その結果として、誰かの日常を削り続けていたのだとしたら。
高瀬はその時初めて、
“ルールが必要なのは、案件を回すためだけじゃない”
と感じていた。

守りたいものが、違って見えていただけだったのかもしれない。


4. 同じ会社なのに、別のチームみたいだった

ワークが進む中で、あるメンバーが言った。
「同じ会社なのに、別のチームみたいですよね。」
誰かが苦笑いした。

営業は営業の責任を背負っている。

開発は開発の責任を背負っている。

その責任感が強いほど、互いを理解する余裕を失っていたのかもしれなかった。
そして、気づかないうちに、
“会社のため”
より、
“相手部署に負けたくない”
が前に出始めていた。

それは、会社を良くするための議論ではなくなっていた。


5. 関係性を壊さないためのルール

研修の後半では、「どうすれば対立を減らせるか」を話し合った。
出てきたのは、派手な解決策ではなかった。

  • 一定以上の工数がかかる案件は事前相談する
  • 顧客要望は一度整理して共有する
  • 営業と開発で短時間でも認識合わせを行う
  • “できる/できない”だけでなく、“なぜ難しいか”も伝える

そんな、小さなルールだった。
けれど、それは“誰かを縛るため”ではなく、
“関係性を壊さないため”
のものだった。


6. 「今日は少し早く帰る」

数日後。
営業側が、新しい案件相談を持ってきた。
以前なら、ただ「圧」となっていた高瀬の言動に ”協働作業” という感覚が加味されていたことを皆が感じ取った。

黒田も資料を見ながら言った。
「まず、整理しようか。」
それだけだったが、以前とは少し違っていた。

劇的に何かが変わったわけではない。
忙しさも、難しい案件も、きっとこれからも続く。
それでも、
以前より少しだけ、
“敵”としてだけ見ていた頃とは、違う空気が流れていた。

帰り道。
高瀬はスマホに入ったメッセージを見る。
『今日も遅い?』
妻からだった。

営業は、会社の経済を守ろうとしていた。
開発は、社員の日々の暮らしを守ろうとしていた。

そのことを思い出した時、高瀬は少しだけ立ち止まった。
自分は、
家族の日々を守ろうとしていただろうか。

ふと、最近まともに夕食を囲めていないことを思い出す。
なんだか、少し夫婦みたいだな。

高瀬は小さく息を吐いて、
『今日は少し早く帰る』
と返信を打った。


この読み物に関連する研修:
『部門間連携 × 合意形成 実践研修』

公開日:2026年5月10日
※本記事は、筆者の研修・対話支援の経験をもとに、職場で起きる関係性のすれ違いを物語形式で再構成した読み物です。無断転載・複製はご遠慮ください。